最古の仏教経典『法句経』をひもとき、釈尊の智慧を参考に、幸せについて考えましょう。

第2章 はげみ

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第2章 はげみ

第2章には、#21から#32までの12の法句が含まれています。
「はげみ」という章題のごとく、精進をテーマにした法句が集められています。

なお、章の題名は、中村元訳「真理のことば」(『ブッダの真理のことば・感興のことば』1978年、岩波新書)をそのまま使用します。

精進は幸せの道

21、精進(はげみ)こそ不死の道

放逸(おこたり)こそは死の径(みち)なり

いそしみはげむ者は

死することなく

放逸(おこたり)にふける者は

生命(いのち)ありとも

すでに死せるにひとし(友松圓諦訳)

(現代語訳)つとめ励むのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の境涯である。つとめ励む人々は死ぬことが無い。怠りなまける人々は、死者のごとくである。(中村元訳)

 

22、明らかに

この理(ことわり)を知りて

いそしみはげむ

賢き人らは

精進(はげみ)の中に

こころはよろこび

聖者(ひじり)の心境(さかい)に

こころはたのしむ (友松圓諦訳)

(現代語訳)このことをはっきりと知って、つとめはげみを能(よ)く知る人々は、つとめはげみを喜び、聖者たちの境地をたのしむ。(中村元訳)

「石の上にも三年」が死語化しているかと思い、ネットを探してみると、
さにあらず、題名にしているブログさえありました。

このことわざは辛抱すれば成功するという意味ですから、
「辛抱」することに力点が置かれていて、
積極的に刻苦努力すべきことを説いているものではありません。

社会人経験3年未満で会社を辞め転職していくことを「第二新卒」と呼ぶそうです。

この「第二新卒」が近年急激に増加しているそうです。

なぜ、そんなに早い時点で転職していくのか。

仕事がいやだとか、上司とそりが合わないとか、という場合もあるのでしょうが、
その企業の有望株が将来を見据えて転職する場合もあるようです。

希望や可能性を実現するために、より確率の高い場所に移るということでしょう。

一層の精進努力を祈ります。

問題はフリーターやニートと呼ばれる人たちです。

こういう時代ですから、やむを得ずフリーターをしている人もいるでしょう。

そういう人はここでの問題には該当しません。

生き方としてフリーターやニートを選択している人々が問題なのです。

まず、ニートの皆さんは、とにかく何らかの職業につくか、教育を受けるかすべきです。

どんな形にせよ、人は社会とのつながりを持たなければ生きていけません。

生きていく価値がない、あるいは見いだせません。

勇気を持ってチャレンジしてみることが大切です。

失敗は成功のもとです。

失敗の数が多いほど、大きな成功にたどり着けると思います。

次に、フリーターの方々です。

いつまでフリーターをやるかが問題でしょう。

時間を区切るべきです。

好きなことが見つかるまでとか、好きなことで身を立てられるまで、
ではだめだと思います。

どんなに遅くとも最終の学校を終わってから十年後までだと私はみています。

たとえば、大学を22歳で卒業したならば、32歳には見切りをつけるべきです。

これはデッドラインですから、できれば二十代の間に決断するのが好ましいと思います。

それでも好きなことが見つからなければ、就職できる所に就職すべきです。

好きなことで身を立てられなければ、
その好きなことを趣味にして、本業を別に持つべきです。

時間を作って精進努力すればまだまだ大成できるチャンスはあります。

日本天台宗の開祖最澄は、純粋にして峻厳な僧侶として知られています。

比類のない厳しい修行を続けたことでも有名です。

その最澄でさえ、息を引き取る直前に、自分はさとりへのほんの入口に達しただけだ、
と述べています。

それほど道を成すということは困難なことなのです。

しかし、最澄は「不死」の道を歩んでいたと思います。

「不死」すなわち、さとりの道です。

本人はさとりの入口に立っただけだと考えていたかもしれませんが、
修行とさとりは等しいのです。

日本曹洞宗の開祖道元に「修証一等」ということばがあります。

修行と証(さと)りは一つに等しいというのです。

修行をしてさとりに到ると一般には考えるかもしれません。

修行が手段で、さとりが目的だという考えです。

さとるために修行するということです。

ところが道元は、修行が手段であり、同時に目的だというのです。

修行すること自体がさとりだというのです。

幸せはどこかにあるのではありません。

私たちの日常の生活にあるのです。

その時々、いまやっていることに打ち込む、気を散らさずに全力投球することが、
幸せにほかなりません。

精進努力すること、できることが、幸せなのです。

2005.08.26配信

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こころ静けき勇者

23、こころは禅(しず)まり

忍ぶことにつよく

つねに

ちから健(たけ)くはげむもの

かかる勇健者(ちからあるもの)こそ

この上もなき

安穏(やすらか)なる

涅槃(さとり)には到らん(友松圓諦訳)

(現代語訳)(道に)思いをこらし、堪え忍ぶことつよく、つねに健(たけ)く奮励する、思慮ある人々は、安らぎに達する。これは無上の幸せである。(中村元訳)

小学校の低学年の頃、予防注射になると先生が言われたものです。

「順番を待っているときにワイワイ騒ぐ人は、いざ注射になると泣き叫ぶものですよ。
静かに待っている人は、ちゃんと良い子で注射を受けられますよ」と。

子どもたちを静かにさせるためというねらいもあったと思いますが、
一理あると思います。

普段、何だかんだと講釈を垂れる人に限って、
いざとなるとからっきしダメという人が多いものです。

ペチャクチャしゃべるのと、こころ静かなことは別問題ではないか。

外面はにぎやかでも、
内面は波一つない鏡のような水面のごとき状態になっている場合もあるのではないか、
と考える向きもあるかもしれません。

道元禅師は「身心一如」と言われます。

つまり、にぎやかに振る舞えば、こころも騒々しくなります。

姿勢を正して端座すれば、こころも静かになります。

にぎやかに振る舞うことを非難しているわけではありません。

こころを落ち着かせることが折にふれ必要だと思うのです。

日米通算200勝を達成した野茂英雄投手はいつも黙々と投げています。

投手は孤独なポジションです。

マウンドの上で頼れるのは自分だけです。

どうしてもストライクが入らず、泣きそうになった
というささやかな経験が私にはあります。

誰も助けてくれません。誰も助けられません。

若い頃の野茂投手はスピードのある直球でぐいぐいと打者を攻めたて、
フォークボールで三振をどんどん取っていました。

今は、往時のスピードはもちろんなく、
丹念にコース・高低を投げ分けて打者を凡退させています。

辛抱の投球です。

いつもこころを静め、忍耐強く投げています。

思量する勇者というおもむきです。

けれども、その姿を見ていると切なくなってくる場合があります。

奮励努力の投球を続けても、なかなか味方の援護なく、ついに打ち込まれてしまう。

あと一人で勝利投手の権利を得られるのに、点を取られてしまう。

残念でなりません。

しかし、野茂投手は言います。
「また、メジャーで投げられて幸せです」

ヤンキースに昇格するために頑張れ、野茂投手!

2005.09.02配信

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fighting spirit と cool head

24、こころはふるい立ち

思いつつましく

こころを用い

業(ふるまい)をきよくし

おのれをととのえ

法(のり)に遵(したが)いて生活す

かくはげみある人に

称誉(ほまれ)は高からん(友松圓諦訳)

(現代語訳)こころはふるい立ち、思いつつましく、行ないは清く、気をつけて行動し、みずから制し、法(のり)にしたがって生き、つとめはげむ人は、名声が高まる。(中村元訳)

イギリスの著名な経済学者アルフレッド・マーシャル(1842-1924)は、
「cool head と warm heart」ということばを残しています。

彼は経済理論を研究するだけでなく、ロンドンのスラム街に自ら足を運び、
貧困の解決の手段として経済学を役立てることに腐心したのです。

人の役に立つには、冷静な頭脳と暖かい気持ちが必要です。

同様に、道を求めるには、奮い立つ情熱と冷静な頭脳が必要です。

熱中する自分を冷静な眼で観察できないと、
ひとりよがりになったり、継続する力も出てきません。

室町時代の名連歌師、里村紹巴(さとむらじょうは)にこんなエピソードがあります。

※連歌 5・7・5の音数律をもつ長句と7・7の短句を交互にならべ、変化の妙をたのしむ詩形式。ひとりでつくる独吟もあるが、一般には複数の作者でよみすすめられる。2句で完成するものを短連歌、長いものを長連歌というが、100句つづけて完成させるものを百韻とよび、これを基本とする。内容が単調になるのをふせぐために式目(しきもく)とよばれる法則がある。(Microsoft エンカルタ 総合大百科2004より)

紹巴は供の者と伏見から大阪への乗合船に乗っていました。

混み合う船内を走り回る船頭が、通りがかりに紹巴の刀を蹴ってしまいました。

供の者が「こら、こちらのお方を知らないのか」と怒ると、
紹巴はそれを押しとどめて、「あの男が連歌をするかどうかたずねてみなさい」
と言います。

供の者は「あのような者が、連歌を知るわけはありません」と答えます。

すると紹巴は「それならば許してやりなさい。
連歌を知らない者が私たちをありがたく思うわけはない」
と言って笑ったという話です。

その道にあまりに熱心にはまってしまうと、それが一番で、
他人も当然それを知っていてありがたがるものだ、と思いがちです。

しかし、真の達人は、冷静な心で謙虚に自己を見つめ、
道理にしたがって行動するものです。

実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな

詠み人知らずの俳句ですが、自戒のことばにしたいものです。

2005.09.09配信

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正真正銘のよりどころ

25、心はふるいたち

精進(はげみ)つつしみて

おのれを理(とと)のうるもの

かかる賢き人こそ

暴流(あらなみ)もおかすすべなき

心の洲(しま)をつくるべし(友松圓諦訳)

(現代語訳)思慮ある人は、奮い立ち、努め励み、自制・克己によって、激流もおし流すことのできない島をつくれ。(中村元訳)

「島(洲)」とは、「帰依処」のことです。

いざというときにも頼りになる拠り所です。

皆さんは何を拠り所にして生きておられますか。

神、仏;親、子ども、連れ合い、恋人、友人、ペット;
健康、学歴、地位、名誉、国;お金等々、いろいろ考えられますが、
究極の拠り所はいかなるものでしょうか。

いつ、いかなる状況・場所でも決して裏切らないもの、
頼りたいときにはいつでも頼れるもの、それは何でしょう。

上に例として上げたものは、いずれもこの条件にはあてはまりません。

「お金があれば何でもできる」と現代人は考えている節があります。

ところが、心のどこかでは買えないものもあるということがわかっています。

また、一部の方以外は、まずお金を手に入れねばなりません。

どのくらいの金額があれば安心なのか、これも難しい問題です。

欲望は無限だからです。

特に、お金に対する欲望は、「超」欲望とでも呼ぶべきもので、際限がありません。

こんなものが拠り所になるでしょうか。

苦悩のもとにはなりますが、究極の帰依処からはほど遠いものです。

連れ合いとの別れが、人生における最大のストレスだそうです。

仲が良ければ良いほど、ストレスの度合いは大きくなるでしょう。

寂しいような話ですが、これが現実です。

その他についても同様です。

いつかは失われたり、役に立たなくなったり、あることについては強力だが、
他のことにはさっぱり効き目がない、というものばかりです。

つまり、自分の外側にあるものは、究極の拠り所とはなり得ないのです。

そうすると残されたものは自分自身だけです。

いついかなるときでも、どんな場所でも、
いつも自分自身はここにいて、頼りになります。

自分自身ですから、なくなることもありません。

もしも、自分自身がなくなれば、頼るべき対象も必要なくなりますから、
それで何の問題もないわけです。

こんなに頼りになるものはほかには存在しません。

釈尊も示しておられます。

たとえば、『法句経』の第160番目の経文の前半にこうあります。

「自己こそ自分の主(あるじ)である。他人がどうして〔自分の〕主であろうか?」と。

しかし、問題は、私自身そうなのですが、
今現在ここに生きている自分が真に頼りになるか、ということです。

これについて、上の経文の後半は次のように言います。

「自己をよくととのえたならば、得難き主を得る」と。

自己をととのえる、というやっかいな仕事はありますが、
「正真正銘のよりどころ」は自分のほかにはないのだ、ということは確かです。

2005.09.16配信

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自分に正直に生きる?

26、智慧にとぼしき

おろかなる人は

官能(おもい)のままに

おぼれしたがう

されど

心ある人は

上なき財宝(たから)のごとく

精進(はげみ)を尊(とうと)び守るなり(友松圓諦訳)

(現代語訳)智慧乏しき愚かな人々は放逸にふける。しかし心ある人は、最上の財宝(たから)をまもるように、つとめはげむのをまもる。(中村元訳)

「自分に正直に生きたいと思って、意を決して○○しました」
と、しばしば耳にします。

「自分に正直に生きる」というのはどのような生き方なのでしょう。

こんなことをすると
世間がどう思うだろうか、
人に迷惑をかけるのではなかろうか、
人を傷つけることになるのではないか、
けれども、私はやはり○○したい、そして○○してしまった、
という場合に、このような言い方をするようです。

つまり、○○することは、かなり自分勝手なことになるのだと推測されます。

「自分に正直に生きる」の「自分」とは、「自分の欲望」だと思います。

自分の好き勝手にしたいというのが、「自分に正直に生きる」の意味なのです。

たとえば、妻子があるにもかかわらず、よその女性を好きになり、
その女性と一緒になるときに
「自分に正直に生きたいと思って、……」
と自分の行為を正当化するのです。

ある未婚女性が、好きでもない男性から求婚されたときに、
わざわざ「自分に正直に生きたいと思いますので、お断りします」
とは言いません。

自分の行為を正当化したい、欲望に負けてしまった、
ことなどをごまかすときに使うのだと思います。

現代では、自分を抑える、忍耐することがいいことではないとする風潮があるようです。

刻苦勉励することは過去のものと成り果てたようです。

少なくとも誰もがそうしなくてはいけない当然のこととは思われていない、
と言ってよいでしょう。

しかし、いつの世も、欲望に振り回され、欲望に溺れ、欲望にふけるのは、
愚かな人の所業です。

夜中から次の昼まで徹夜で麻雀にふけり、わが子(乳児)を自動車に置き去りにして
死なせた母親の事件が、今朝のニュースで報じられていました。

「自分に正直に生きた」結果が、
わが子の死を招いたのでは悔やんでも悔やみきれないでしょう。

名誉や地位を得、お金を儲け、要領よく生きることよりも、
努め励んで己の欲望に振り回されない生き方をこそ称讃したいものです。

2005.09.23配信

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人生の楽しみ

27、放逸におぼるるなかれ

愛欲のたのしみを

習いとするなかれ

まこと いそしみと

思い静かなる人こそ

上なきの安楽(たのしみ)をえん(友松圓諦訳)

(現代語訳)放逸に耽(ふけ)るな。愛欲と歓楽に親しむな。おこたることなく思念をこらす者は、大いなる楽しみを得る。(中村元訳)

価値の多様化を反映して、実にさまざまの楽しみ・道楽があります。

伝統的な「飲む・打つ・買う」からはじまってボランティアにいたるまで、
はなはだ多様です。

もう○十年も前の話ですが、私が大学に入学し上京する際、亡くなった祖父が
「酒と女はテンプテーションtemptationだぞや」
とくれぐれも注意してくれたことを憶えています。

にもかかわらず、酒については存分に楽しみました。

楽しみすぎたというべきかもしれません。

酒代で生活費がいつもギリギリでした。

お金が足りずに焼鳥屋に学生証を置いて帰ったこともありました。

三十代の前半まで、よくお酒は飲みました。

二日酔いから食中毒になったり、
午前中のある集まりの際に誰か酒飲んでるのかと言われたり、
(二日酔いでまだ酒臭かったのです)
身重の妻が買ってきてくれたポカリスエットを飲んだ直後に吐いてしまったり、
お酒が原因でさらしてしまった醜態と身心の苦しみは数えきれません。

それでも性懲りもなく飲みました。

しかし、あることを境に深酒をやめようと思ったのです。

温泉旅館での泊まりの新年会で徹夜で痛飲し、
二日酔いで帰り、そのまま一週間寝込んだことがありました。

免疫力が落ちて、インフルエンザに感染してしまったのです。

あの苦しみは今でも忘れられません。

それまでも幾多の苦しみを味わってきたはずですが、
なぜかこの苦しみはそれまでのものとは違っていたのです。

それ以来、深酒はしなくなりました。

できなくなりました。

一種の「悟り」でしょうか。

いや、私に与えられた一生分の飲酒量の大半を飲み尽くしてしまった、
というだけのことでしょう。

釈尊や歴代の祖師の中には、欲望の限りを尽くした後、
そのはかなさ愚かさに気づいて、道を求めようと決心した、
という場合が少なくありません。

釈尊は小さい国ながらも王子として生まれ、ぜいたくの限りを尽くしましたし、
八宗の祖と言われ、以後の大乗仏教のすべてに影響を与えた龍樹(りゅうじゅ)には、
次のような伝説があります。

隠身術(透明になる術でしょう)をマスターした龍樹は
三人の友とともに王宮に忍び込み、宮中の美人をすべて犯してしまった。

腹を立てた王様は、細かな砂を門の中にまかせ、
足跡を頼りに龍樹の三人の友を斬り殺させた。

しかし、龍樹だけは王のかたわらにいて難を逃れた、というものです。

この話をそのまま受け取るわけにはいきませんが、
龍樹は愛欲と歓楽に耽溺していたと考えてよいと思います。

放蕩することを勧めるわけではありませんが、
身を滅ぼさない程度に道楽することもときには必要だと思います。

そうして、人生の真の楽しみを見つけることです。

人生、そうたびたび血踊り、肉湧き上がるような
刺激的な楽しみがあるわけではありません。

そんなことがあったら、かえって身の破滅です。

真の楽しみは心安らぐ静かなものなのだと思います。

具体的には人それぞれでしょう。

読書、旅行、音楽鑑賞、美術鑑賞、映画鑑賞、ボランティア、……です。

人の役に立っている、社会の役に立っている、という思いがその中にあれば理想的です。

秋の夜長に腰を落ち着けてじっくり考えてみるのもよいかもしれません。

2005.09.27配信

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高みから見下ろせば

28、放逸(おこたり)を脚(しりぞ)けし賢人(ひと)は

智慧の高閣(たかや)にのぼり

こころにうれいなくして

憂(うれい)ある愚衆(ひと)をみおろすなり

山頂に立つひとの

地に在(あ)るものをみるごとく(友松圓諦訳)

(現代語訳)賢者が精励修行によって怠惰をしりぞけるときには、智慧の高閣(たかどの)に登り、自らは憂い無くして(他の)憂いある愚人どもを見下(みおろ)す。—山上にいる人が地上の人々を見下(みおろ)すように。(中村元訳)

高い所に登るのは気分が良いものです。

はじめて東京タワーの展望台に登ったときの印象が強烈に残っています。

四、五歳の頃でしたが、自動車がミニカーのように見え、人間は小さな点でした。

自動車の動きも妙にのろのろして、つかまえられそうだと思ったことを記憶しています。

東京ってこんな所なんだ、とわかったような気にもなったものです。

中学生になると小学生レヴェルの勉強がよくわかり、
高校生になると中学生の、大学生になると高校生の、
それぞれのレヴェルの勉強がよくわかるようになるものです。

たとえば、大学に入ってそれなりに英語の勉強をしていると、
東大の英語の入試問題も、「何だ、こんなものだったのか」と思えるようになります。

中学一年の頃、十七歳の女性を泣かしたことがあります。

母が経営していた店の従業員で、ちょくちょくわが家に遊びに来ていました。

部活動から帰って、一人遅い夕食をとりながら、彼女と話していたのですが、
「お前が生きてる限り、おれも死ねないよ。
だって、お前が生きていると世界の迷惑だからね」
という意味のことを言ったのです。

彼女はそれきり黙り込んでしまい、
しばらくするとコートを引ったくるようにして持つと足早に帰ってしまったのです。

その後、彼女から母親に電話があり、私は電話で平謝りに謝らせられました。

私としては、友だちと話すような具合に、軽い冗談のつもりだったのですが、
彼女を傷つけてしまったのです。

それでも、私はその後しばらくは、
「彼女は人一倍感じやすく、人の言うことを気にする性質なのだ」
というまわりのおとなたちの評価を盾に自分を正当化していました。

しかし、最近ようやく気づいたのです。

彼女は私のことが好きだったのではないか。

弟のように思っていてくれたのではないかと。

同時に、私も姉のように慕っていたのだと。

それで、わざわざ意地悪なことを言ってしまったのだろうと思います。

好きな子に意地悪をする男の子というのは割合多いものです。

私がもう少しおとなで、彼女の性格や状況を理解しておれば、
こんなことは言わなかったでしょう。

過去のことはもう取り返しがつきません。

いくら後悔しても後の祭りです。

失敗から学んで同じ失敗を繰り返さないように生かしていくことが肝要です。

それにはどうしたらよいのでしょう。

年長者や体験者の言うことをよく聞き、よく考え、努力するしかないでしょう。

思慮深い智慧を身につけ、東京タワーの展望台からのぞむように、
人や社会の実相を眺められるようになりたいものです。

2005.10.07配信

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目覚めている人

29、放逸(おこたり)の人の中に

ひとりいそしみ

うち眠る人の中に

ひとりよくさめたる

かくの如き智者は

かの足駿(はや)き馬の

おそき馬を駆けぬくごとく

彼は足早く走りゆくなり (友松圓諦訳)

(現代語訳)怠りなまけている人々のなかで、ひとりつとめはげみ、眠っている人々のなかで、ひとりよく目醒めている思慮ある人は、(はや)くはしる馬が、足のろの馬を抜いてかけるようなものである。 (中村元訳)

私が尊敬する方々のお一人に地球物理学者の竹内均先生がおられます。

正確には「おられました」と過去形で書くべきでしょう。

残念ながら、昨年(2004年)の4月20日に満83歳で逝去されました。

大学受験対策の定番『傾向と対策』シリーズの物理を執筆されたり、
東京大学退官後は、科学雑誌『Newton ニュートン』の編集長を務められ、
科学知識の普及に尽力されました。

また、人生の幸福についても追求し続けられました。

もちろん、専門の研究でも世界的な業績を残しておられます。

先生がこれほどの業績を残された秘密は、
早寝早起きの習慣と時間を効率よく使う方法です。

午前四時に起床、午後九時に就寝という生活を旧制中学の頃から実践され、
また時間を最大限に生かす7つのポイントを示しておられます。

その中の一つに、「死に時間」をなくす、というのを上げておられます。

「一日中ゴルフをしても、運動量は縄跳び5分間くらいでしょうね」
という話を聞いて、一日に5分間500回の縄跳びを始められたそうです。

運動するという観点からは、一日のゴルフは「死に時間」というわけです。

もちろん、楽しみのためにとか、仕事(接待)のためとなれば話は違います。

もっとも、先生が接待される側ならば、接待ゴルフは断ったでしょうが。

なぜ、先生はこのように生涯を通して走り続けることができたのでしょうか。

それも足早くです。

それは、「目ざめて」おられたからでしょう。

旧制大野中学2年の夏に、寺田寅彦のエッセーを読み、
学者になることを決意されたそうです。

私は小学生のときに、ノーベルやエジソン、ニュートンの伝記を読み、
科学者にあこがれました。

実際、高校生までは理科系のコースを進みましたが、
希望の大学に入れず、第二希望のとある大学の経済学部に入りました。

「経済学も数学を使うし、おれの理科系の才能なんかは大したことはないから、
これでいいや」と妥協してしまったのです。

結局、経済学もものにならず、永平寺で修行し、
その後仏教学専攻で大学院に5年間通いました。

強いて言えば、私の目ざめは永平寺に行こうと決めたときだったのです。

しかし、真の目ざめと言えるのかどうか、あやしいものです。

曲がりなりにも『法句経』についての話を書けているので、
半分あきらめの混ざった目ざめだったのでしょう。

比較するのもおこがましく、僭越だとは思いますが、
どうして竹内先生と私ではこんなに大きな差が開いてしまったのでしょうか。

目ざめの深さが違ったのでしょう。

私の場合は浅薄なあこがれ、先生のそれはしっかりと現実に根ざしたもの。

したがって、その後の精進努力にも差が出てきます。

駿馬が駄馬を追い抜いていくようなものです。

けれども、目ざめはいつになっても遅くないと思います。

目ざめれば早く走る馬と同様なのですから。

残りの人生の時間がどうであれ、最後まで全力疾走して、
充実した人生を生き切ったと満足して死ねればなあと思います。

2005.10.14配信

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